月9ドラマ「イチケイのカラス」最終回劇中に登場した「3人のレンガ職人」
働くということを考えさせられる話で、もとはイソップ童話になる。
同様に東京FMのラジオ番組「NISSAN あ、安部礼司 ~ BEYOND THE AVERAGE ~」でも「古代エジプトの3人の井戸掘り」という似たようなエピソードが紹介されていた。
この2つのエピソードを合わせて紹介しつつその内容について考えていく。
イソップ童話「3人のレンガ職人」とは
まずは「イチケイのカラス」に登場したイソップ童話「3人のレンガ職人」から紹介していく。
世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、3人の男達が道の脇でレンガを積んでいた。旅人は
「ここでいったい何をしているのですか?」と男たちに尋ねた。
1人目の男は
「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり」
と辛そうに答えた
2人目の男は
「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べいくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ」
と、一生懸命にレンガを積みながら答えた。
3人目の男は
「ああ、俺達のことかい?俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!素晴らしいだろう!」
別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積みながら答えた。
ドラマではこの3人の男たちの10年後から、どの回答が正解なのかが明白であるという話になっていく。
では10年後はどうかというと
1人目は、
10年前と同じように文句をいいながらレンガを積んでいました。
2人目は、
レンガ積よりお金の良い仕事に就きましたが、
危険を伴う教会の屋根の上で仕事をしていました。
3人目は、
建築現場の施工管理者として施工を任されるようになり、
のちに出来上がった大聖堂には彼の名前が付けられたということです。
恐ろしいほどに現代の日本社会にも通用しそうな寓話になっている。
詳しい解釈は後述するとして、先に「古代エジプトの3人の井戸掘り」について紹介していく。
安部礼司に登場した「古代エジプトの3人の井戸掘り」とは
東京FMのラジオドラマ 安部礼司の2021年5月30日の回で登場したエピソードで登場
安部礼司についてご存知ない方はこちら

その内容は以下のようなものでした
古代エジプトで3人の男達が井戸を掘っている
それぞれに「何をしているんですか?」と尋ねたところ
1人目の男は「井戸掘ってます」と答え
2人目の男は「これで金稼いでるんだ」と答え
3人目の男は「この砂漠で誰もが暮らすことができる水を探しているんです」と答えた
ちなみにこちらの話、調べた限りでは正確な出典が見つからなかった。
もしかしたら前述した「3人のレンガ職人」を元に安部礼司の脚本の為に作成されたものなのかもしれない
読んで分かるように基本的な内容はすばりまったく同じ。
ところが解釈が異なっていたのが興味深かった。
「3人のレンガ職人」では、とにかく3人目が正しいのだということを押し付けられているように感じる
これらの話は仕事に対する意識を3つにカテゴライズしている。そして現代日本社会のサラリーマンもおよそ大部分の人はこの3つに分類されるのではないだろうか
- 1人目の男の場合、仕事を目の前にある作業を行うこととして捉えている。そして仕事に対してネガティブな感情を抱いている
- 2人目の男の場合、仕事をお金の為のものとして捉えている。仕事にありつけているだけで幸せだとポジティブな感情を抱いている
- 3人目の男の場合、仕事そのものの目的を意識し、目的意識をもって仕事に取り組んでいる。仕事を仕事と思っておらずポジティブを超越している
仕事をどうとらえているかだけではなく、ネガティブやポジティブという感情的な面も踏まえこの3人を対称的に描いている。
ぶっちゃけ3人目のように考えられる人はそれほど多くはない。しかし2人目であれば該当する人は増えるのではないだろうか
2人目でもいいじゃないかとも思うが、この話が3人目をゴリ押しすると思う理由は前述した10年後のエピソードだ
再度要約して書くとこうなる
- 1人目の男は10年後も今と変わらない
- 2人目の男はより稼げるが危険な仕事に転職
- 3人目の男は管理職に出世し、歴史に名が残る
1人目が出世せず、3人目が出世したというのはまぁ分かる。
問題は2人目。
より稼げる仕事に転職出来たなら大成功だろうが、転職先について
“危険な仕事に”とわざわざ付けるところに作者の意図を感じてしまう。
このキーワードがなければ「2人目でも大正解じゃん、むしろこっちのがいいじゃん」と思う人も多いだろう。
仕事を対価を獲るための手段と考えている人を肯定せず、何処かdisってるように読み取れる
これが、「3人目こそが最も正しい」と押し付けられていると思う理由である。
例えば自己啓発本や社会人スクールなどでこの話を持ち出す場合、
いかに3人目が世に必要とされ、出世するか、そしてどうしたら3人目のようになれるかという話につながることが多い。
そうはいっても3人目のようにいつも考えて仕事するのは大変難しい
正直歴史に名を残したいと思ったことはないし、もっと言うと近年は管理職にすらなりなくないと思う若者も増えてきているのも事実だ
そういう意味でも、3人目こそが最も正しいとは言えなくなってきているのだと思う。
「3人のレンガ職人」には正解があるが「3人の井戸掘り」には正解がない
前述したように、「3人のレンガ職人」は3人目を暗に推している構成になっているが、
一方で「3人の井戸掘り」には「辛そうに」や「生き生きと」といった補足情報がないので、シンプルに3回答が同列で描かれている。
そしてこの話を受け、ラジオドラマ「安部礼司」ではこのように続く
働くということを考えると、いつもこの3つが思い浮かぶ
どの答えでもいいんだけど・・・1番目も2番目も正しいと思うし
でもね、3番目が1番"健やか"な感じがする。綺麗ごとかもしれないけど
3人目であるべきという解釈ではなく、どれも正しいが3人目が好き、という解釈だった。
これを「健やか」と表現する辺りがなかなかニクイ・・・
ちなみにこの回はyoutubeにあがってました。
実際に働く理由はと聞かれるとそのその回答は多い
働く理由は何ですかと問うと、およそ考えられる回答は本日紹介した3つよりもずっと多い
- お金の為(生活の為、家族を養うため)
- やりがいの為
職場の責任感の為
顧客の為 - 仕事終わりの一杯の為
- 休日の為
- 出会いの為
- 社会人としての体裁の為
- 親から言われて仕方なく
- 等
もちろんこれらが複合的に合わさって、なんとか今日も仕事に向かっているのだろう
仕事そのものにやりがいを覚え、顧客の喜びを目的としていても給料は絶対必要だしこれが下がるとモチベーションも下がる。
また、近年は出世して給料を多くもらうことが人生の勝者とも言い切れなくなってきている。
10年後も今と同じ仕事で同じ給料貰えている状況を、ゾッとすると思うかまぁ別にいいかと思うかは、一概に決めつけられなくなってきている
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